公私の別!?

せっかくここも復活させたのでたまには学校放送のことを。今年はストレッチマン2とマテマティカ2を録ってます。相変わらず録ってるだけで視てません。が、毎回タイトルだけは書きとめていて、録画物の整理はキチンとしています。


そんな訳でいつも通りイントロだけ視てしまっちゃおう‥としたら、マテマティカ2(第5回)のタイトル「公私の別」に引っかかりました。なんじゃこりゃ!? この算数番組らしからぬ、往年の円谷特撮みたいな(笑)タイトル。こういうの大好きな私は、思わず通して視ました。マテマティカ2を通して視たのは第1回以来です。


で、感想を述べる前にどんな内容だったかを簡単に書いておくと‥というか引用。
#本稿アップ時点では公式に画像付で詳しく解説されているので、そちらの参照をオススメします

【ねらい】
公約数の意味を、「数のなかには公私の別がある」という視点で考える。

【内容】
●二つの数の間にある「関係」について考える。
●二つの数が「仲よく長方形に並べるか、並べないか」を実験してみる。
●人間が社会生活するには、みんなで共有する「公」と、個人それぞれの「私」がある。
同じように、数にも「公私の別」がある。ではその区別はどうやって見分けるのか?
そのために必要なのが数の分解。かけ算の形にばらしてみると、数同士の相性が分かるのだ!
●二つの数が共通して持っている「仲よくできる数=公約数」を見つける作業を通して、数の世界にある関係を見つけていく。

基本的には公約数の話で、2つの数字に隠された公約数を「公」、そうでない数を「私」として、「公」の多さ=数字の「仲の良さ」という風に表現していました。例えば‥


6と9 → 2×3と3×3 → ちょっと仲が良い
6と12 → 2×3と2×3×3 → すごく仲が良い
6と15 → 2×3と3×5 → ちょっと仲が良い
7と11 → (なし) → すごく仲が悪い


仲が良いだとか悪いだとか、2組の数字の組み合わせから受ける(およそ公約数とは関係ないっぽい)印象を出演者に語らせるとか、そのへんはどうでもいいんです。そういうのがこの番組の特徴なんだろうからね。ただ、今回のタイトル「公私の別」はちょっと違うんじゃないの? と思ってめずらしくこんなに長文を書いているのであります。


「公私の別」といったら例えば、「学校で漫画読んでちゃいけないよ」とか「会社のパソコンでゲームばっかりやってちゃいけないよ」とか、そんなようなことでしょ。小学校高学年の算数でそんな言葉があてはまることってあったかな? と思って期待して見てたのに、15分後には思わず「なんだオチなしかよ!」と叫んでしまいました(笑)。

公約数は「公」、はまぁそのまんまだからいいとして、そうじゃない数字は対して「私」、という発想に無理があるんじゃないかなぁ。しかも仲が悪いとか言われてるし。プライベートだからこそ腹を割って語り合える仲ってのもあるし、どちらかというと公のつきあいのほうが他人行儀じゃないでしょうか。まぁ私の勝手なイメージからくる違和感ですが、公約数の公と公私の公は、駄洒落には向かないかなと。


ブツブツ言ってしまいましたが、それはともかく「6 9」と書かれたプレートを女子たちに臆面なく持たせてることで全て帳消し(爆)。あと出演者の中で妙にハキハキした口調で喋ってた娘、平成11年度の鈴木卓爾3組の雪江ちゃんに激似だと思ったんだけど‥年齢的に合わないかなぁ。


(6/25 11:00追記)寝る直前に書いたらまことに散文(散文なのはいつもだけど)でまとまってない気がしたので、あらためてヘンだなぁと思ったことを追記。


・「公私の区別を」「公私混同」というふうに、「公私」が使われる言葉には否定・注意勧告といったニュアンスがあるのに、そういった意図では使われていない。算数番組でそんな問題提起な話し?と期待したのに、結局そうでなくて拍子抜け。

・と思ったけど「公私にわたって」「公私ともども」と、必ずしも否定だけではないですね。ただ、そういう使い方とも、今回のタイトルとは結びつかない気がする。

・公が懇意、私が不仲という定義も、公私という言葉が使われるシーンから連想するには違和感がある。

・公私 - おおやけ事とわたくし事。公共や公務に関することと私的なこと。(大辞林)
〜の別=公と私は別である、と直訳(?)すれば間違っていはいないとも言え、そこがなんかむずがゆい。


答えの幅が狭い算数にあって、私がイメージする「公私」をテーマにするとしたら、どんな題材があるかなと考えてみましたが‥「証明」とか、そんなのしか思いつかなかったですね。「二本の線が平行であることを証明せよ」という問題に対し、「駄菓子屋のおばちゃんが平らだと言ったから」という答えじゃダメですよ、とか。それも公私とは違うか!!(笑)