トラウマ

ふと、「トラウマ」の語源ってなんじゃらホイ、と気になった。「虎と馬の区別がつかないという逸話から」と思った、なんてことはもちろんナイショだ(書いてんじゃん)。で、語源由来辞典で調べてみたら、元はギリシャ語で、心理学者フロイトが心理的な古傷を指してそう呼んだのが語源ということらしい。

語源についてはそれまでだが、なんで突然トラウマなのかというと、最近特に「ストレス」とか「トラウマ」という言葉を気にすることが多くなったからだ。私は若い頃から、自分はストレスやトラウマに無縁な人間だ、と思っていた。ストレスなんかは目に見えた外傷や痛みが出たことはなかったので、何がストレスかがわからなかったし、トラウマについても、生活に支障がでるような幼児体験とか全く思い当たらなかったからだ。

しかし最近、生活に支障が出るくらいの目にみえた症状が出るようになった。規則正しい生活をしたくてもできない、原因不明の目まい(日記では「目玉グルグル症」とか呼んでいた)がする、胃痛が我慢できない、帯状疱疹後の神経痛がする、等々。医者に行って検査しても特に問題なし、これってなんなんだろう‥といろいろ調べたり考えたりしたところ、「ストレス」とか「トラウマ」という言葉が出てきた、という次第。

ストレスの意味については説明する必要もないと思うが、若い頃「ストレスと無縁」と思っていたのは、若さ故ストレスを感じていても気合で乗り切れていただけなんだと思う。また、「最近ストレスが溜まっちゃってサ」と軽々しく発言することが流行していたことへの反抗、というか、俗に染まりたくないという心情からの意識でもあったんだろう。振り返れば、若い頃、いやホントに子供の頃から、ストレスを感じまくって生活していたのは間違いない。でも気づかなかった、というか、そうと認めたくなかった。

で、トラウマについては、ストレス以上に私とは無縁だ、と最近まで思っていた。いろいろあったけど幸せな幼少時代だった、と今でも思っているし。でも最近「自分のストレスとは何か」を考察するうち、自分がイヤだと思うことが幼児期の体験からきているのではないか、と思うようになった。私が今もってイヤなこと、それは「怒鳴り口調で叱られること」。自分がそうやって叱られたり注意されたりするのはもちろんイヤだが、別に私が怒鳴られている訳でもないのに−−例えば職場の近くの席の誰かが電話の先の人に対して怒鳴ったりする−−その声ですごく怯えたり、胃痛がしたりするのだ。人が怒っている様というのは、はたから見ていても気分のいいものではないと思うが、私にとってこの必要以上の嫌悪感は、どうも幼少期の体験から来ているのかもしれない。

私の父はことあるごとに怒鳴りちらす人で、私に対してはもちろんのこと、母に対していつも怒鳴りちらしていた。自分の部屋にいても聞こえてくるその声に怯え、反抗するより早々に謝ってしまえばこの嵐は治まる、そんな思考回路が無意識に身に付いた。その後父も亡くなり、怒鳴り声は聞きたくても聞けなくなってしまったが、それ以前に家を出て一人暮らしをはじめた頃から、そんな体験からは解放された、と思っていた。しかしそれからの私を振り返ってみると、自然と自分を怒鳴り声から隔離するような人生を歩んでいる。つまり怒られるにしてもやさしく注意してくれる人のもとに自分を置くように生きているのだ。

それをトラウマとして認識するかしないかはともかく、そのように自分の身を守って生きることに間違いはなかったと思っている。でも回避できない状況(いま結構そうなのネ)もあるし、若い頃と違ってヘンな症状も出たりして、もしトラウマなら解消していかなければいけないのか、なんて思った今日この頃。

単純に怒鳴り声に対しての反応を押さえたいだけなら、「怒鳴り声をやさしい言葉に変換するイヤホン」とかがあるといいのに、なんて。例えば「コラ!キミは何度言ったらわかるんだ!」→「いたちま〜す!ドン」(これじゃ誤変換)